落花流水 4(学生時代)


 静馬は激しく苛立っていた。綾乃の身体を床に押さえつけ、その肩に縋るように顔を埋め、
「俺たちは子供じゃない」
 と、今度は掠れた声で熱く荒い息とともに吐き出した。
 綾乃が苦しげに何か言葉を漏らしながら、身体を少し動かした。
 静馬は、逃がすか、と言う気持ちで綾乃の頭を片手で強く押さえつけながら、
「おとなしくしていろっ」
 と命令するような言葉を投げつけると、綾乃の白い首に唇を這わせた。
「なあ、綾乃……したい……してもいいだろう……?」
 そう耳打ちをし、服の上からふくよかな胸をもみ、柔らかな腰のラインをなぞり、丸い尻を撫でてスカートの裾を捲くると滑らかな太腿を撫で上げて下着の上から秘所に触れた。湿り気を帯びた温かい秘所を擦り回して、秘所を覆う下着の中に手を差し入れた。柔らかな茂みが指に触れた。これまで夢想するだけだった女の茂みの手触りにすっかりのぼせて、いよいよ見境がなくなって来た。

 静馬は、これまで綾乃に男女の交わりを求めたことは一度もなかった。静馬とて健康な成人男子である。綾乃を思いながら自慰的行為に耽ることはあった。
 だが、未成年のうちは勿論のこと、成人してからも保護者の監督下にある学生の身であり、学生には学生の付き合い方がある、学生時代にしか味わえないものがあると考え、学生の本分を全うしようとした。
 こうした静馬の考え方と行動は、学者である祖父の影響を多分に受けていた。
 気さくな祖父だが、学者の絶対に持論を曲げない頑固な一面も持っており、知識欲から今風の考え方にも興味を示したが、その根底にある古風な倫理観が揺らぐことはなかった。
 祖父が己の考え方を世代の違う静馬に押しつけるようなことはしなかったが、静馬が祖父の考え方に感化されていても、不思議はなかった。
 しかし、今、学生時代の終わりが見え始めて来た。加えて、離れてしまうことへの不安が、静馬の中で急速に膨らみ始めていた。
 静馬は、離れることの寂しさを誰よりもよく知っているつもりだった。
 静馬がずっと傍にいて欲しいと願っている人は、綾乃と祖父であった。

 性行為の経験のない静馬は、牡の本能の言うがままに動いていた。
「静馬、ちょっと待って、ねえ、落ち着いてよ、ねえったら」
 そんな言葉を綾乃は懇願するように繰り返し言いながら、覆い被さっている静馬の身体を押したり、身体を弄り回す静馬の手を押さえたりしていた。
 だが、どんなに綾乃がもがいても静馬の身体はびくともせず、どんなに懇願しても静馬が行為を止めることはなかった。
「止めてっ」
 綾乃は、下着の中に手が入れられると、両手で思いっきり静馬の胸を強く押し返し、我が身をねじって静馬の身体の下から出ようとした。
 すると静馬の手が、綾乃の顎を荒々しく捕らえた。
「俺たちはもう子供じゃないんだ。俺は綾乃が欲しいんだよ、一つになりたいんだよ。綾乃だってそうだろう」
 静馬は強く絡むような口調でそう言うと、血走った目で綾乃をねめつけた。そんな静馬にはねっとりした怖さ、生理的嫌悪感をもよおす怖さがあった。
 そのような怖さを綾乃は静馬から初めて感じたのであった。今まで知らなかった恐怖に、がたがたと全身が震えて、わななく唇からは声にならない声が漏れていた。
 静馬が口元を笑いの形に歪め、両手を綾乃の頬に添えながら、
「不安そうな顔をしているな」
 と言った。
「ああ、わかるよ、綾乃は不安なんだよな。その不安、俺が消してやるよ。一つに繋がれば、不安なんてなくなるよ」
 うわごとのように呟きながら綾乃を粘っこい目で見て、その頬を撫でている。
 綾乃は身を竦ませるだけであった。静馬の目も、声も、手も不快で怖くて、他にどうすることもできない状態に陥っていたのである。
 静馬は綾乃の身体を掻き抱くと、片手を再び綾乃の腿の間に差し入れた。その手が締めつけ、押さえられ、
「――ねえ、なんか、そう言うのあるの?」
 そんな綾乃の細く泣きそうな声が聞こえた。
 静馬は何も言わなかった。
「――ないんなら、私、嫌よっ!」
 そんな声がはっきりと聞こえ、綾乃が激しく抗い始めた。
「なくても大丈夫だよ。上手くやってやる」
 静馬はそう言いながら綾乃の身体を押さえ込み、服の上から胸の膨らみを手で包み込むようにして揉み始めた。
 綾乃は覆い被さる静馬の身体の下から逃げようとしたが、静馬は綾乃の身体をがっちりと抱え込んで放しはしなかった。
 静馬は綾乃の上着をたくし上げると乳房を覆う下着をずらしてこぼれ出た乳房に吸いついた。秘所を覆う下着の中に手を入れて擦り回し、指で花唇を割って蜜壷に人差し指を埋めた。温かい花蜜で指を濡らしながら、蜜壷の中をかき回した。指一本でもきつい蜜壷に中指も無理やり入れた。溢れ出る花蜜で滑りはよく、もう夢中になって弄り回した。
 綾乃は何か喚きながら暴れているが、静馬は力で押さえつけていた。
 と、がたん、と何かがぶつかったような音がした。
 すると何故か綾乃がおとなしくなった。
「――もう、やだ。お願いだから、静馬、止めて……」
 掠れた泣き声が聞こえた。
 静馬はジーパンのファスナーを下ろして猛る牡を取り出すと、ぐったりした感じで横たわっている綾乃のストッキングと下着に手をかけた。抵抗されたが無理やり脱がせ、片足を肩に担ぐと蜜壷の入り口に牡を押し当てた。
「やだ、まだやあー」
 そんな叫び声が聞こえた。
 それには構わず、静馬は己の牡を狭い蜜壷に埋め込んで行った。
 綾乃が悲鳴のような声を上げる。顔は苦しげに歪められ、きつく閉じられた瞼の間から涙が流れた。
 そんな綾乃の声や表情が、静馬の気持ちをいっそう昂ぶらせた。
 綾乃の中は柔らかくて暖かくて、そして懐かしい。まるで母の胎内に還ったような、安らぎと安心を覚える。もっともっと安心の欲しい静馬は、昂ぶる気持ちのままに腰を打ちつけ、綾乃の中に己の欲を吐き出した。
(――綾乃……綾乃……)
 静馬の全身には綾乃への愛おしさが駆け巡っていた。
 静馬は大きく息を吐きながら、綾乃の中から己の牡をゆっくりと引き抜いた。途端、猛烈に眠くなって来た。
(――言うんだよ……俺は綾乃が……綾乃……)
 そう思い、頭の中に愛と労りの言葉をよぎらせながらも、それを声に乗せて綾乃に届けることができなかった――――。

 静馬はふっと意識を取り戻した。
 ――――ここは、どこだ……?
 上手く働かない頭でぼんやりと思った。
 ――――俺、綾乃と一緒に卒論を出したんだよな……?
 あれは夢だったのか、現実だったのかと考えた。
『綾乃、つまみは出来合いのものでいいんじゃないか』
『せっかくのお祝いだもの。私、静馬に作ってあげたいのよ』
『そっか――。なあ、近いうちにまた、お茶を点ててくれないか』
『いいわよ。ふふっ、静馬のお家に茶室がなかったら、私、茶道や着付けなんて習わなかったと思うわ。ねえ、静馬。私、おしとやかになったかしら――? ちょっと静馬。なんで黙っているのよ――? あっ、静馬。その馬鹿にしたような笑いはなんなのよー』
『別に馬鹿になんてしていないよ。その、なんだ。綾乃におしとやかは似合わないと思ってな――。今のままの綾乃でいいよ……』

(確か、二人で卒論を出したあと、買い物をして……綾乃のアパートに向かって……ここは……綾乃の部屋……?)
 徐々に思い出して来た静馬は、床に手を突いてけだるい身体をゆっくりと起こすと頭を数回左右に振った。まだ、頭の中がはっきりしていない。
(暗いな)
 そう感じた。真っ暗ではなかったが、光が薄かった。
(あれ、布団が?)
 自分が布団をかけていたことに気づいた。シャツの裾をジーパンの中に入れ直しながら、綾乃と結ばれた喜びがふつふうと湧いて来ていた。
(あっ、綾乃は……?)
 薄暗がりの中、綾乃の姿を捜して前方に目を向けた。壁と家具を直ぐ近くに感じたが、綾乃の姿はなかった。それで振り向いてみたら、綾乃が目に入った。
 綾乃は、静馬の頭があった辺りに座っていた。
 その綾乃の気配を、静馬はそれまで感じなかった。
「俺、どれくらい寝ていた?」
「三十分くらい……」
 綾乃はぽつりと呟きながら立ち上がり、天井からぶら下がっている照明器具の紐を引いた。
 部屋が、ぱあっと明るくなった。
 その眩しさに静馬は思わず目を細め、ふと時間が気になって壁にかかっている時計を見た。時計の針は午後四時を少し過ぎていた。
 さっきまでは窓にレースのカーテンが引かれているだけだったが、今はモスグリーンの厚手のカーテンも引かれている。
 だから時間の割には暗かったのか、と静馬は何となく納得していた。そうしながら喉の渇きを覚えてテーブルの上に目を向けた。
「綾乃」
「何っ?」
 綾乃の声は変に上擦っていた。
「ビールがないぞ」
「済みませんっ!」
 そう甲高い声を上げた綾乃は、キッチンから缶ビールを二本持って来ると料理の並んでいるテーブルの上に置いた。
「さあ、始めよう。祝いだ、祝い」
 静馬は楽しそうに言いながら缶ビールのタブを開け、ぐいっと飲んだ。
 綾乃は静馬にかかっていた布団をベッドに戻し、そのままベッドに腰を下ろした。
 静馬はすっかり舞い上がってた。
 この小さな部屋は、綾乃の体温と息遣いを間近に感じられて居心地がいい。
 この小さなテーブルに並んでいる料理は、静馬のために綾乃が作ってくれた。
 その綾乃と今日、静馬は一つに結ばれた。
 綾乃の勤務先によっては二人の距離が遠くなる、と先程までは不安を感じていたが、今はいい結果が出る、と確信していた。
 静馬の方は希望の会社に就職が決まっていた。今日、卒業論文を提出したことも安心の材料の一つだった。
 何もかもが素晴らしいものに思えて、その素晴らしさに我を忘れ、何もかもが輝いて見えて、その輝きに目が眩み、静馬は見ているようで何も見てはいなかった。
 綾乃の手料理を堪能していた静馬は、
「少し冷えて来たな」
 と、ベッドに座ったままの綾乃に向かって言った。
 綾乃にはいつにない静かでしとやかな雰囲気があった。
 それを静馬は、愛されて女になればやっぱり変わるものだ、そうしたのは自分だ、と得意な気持ちになっていた。
「綾乃、こっちに座れよ」
 静馬はテーブルを挟んだ向かい側を差しながら綾乃に言った。
 テーブルに着いていようが、ベッドに座っていようが、二人の距離にほとんど差はない。それでも二人の卒業論文提出を祝うために設けた席である。そこに祝い事が一つ増えた。
 静馬は綾乃と一つのテーブルに着いて祝いたかった。
 綾乃はゆっくりと立ち上がると暖房のスイッチを入れてからテーブルに着いた。
「飲めよ」
 静馬は、まだタブの開いていなかった缶ビールを綾乃に差し出したが、ああ、と思い、タブを開けてから綾乃の前に置いた。
 綾乃はどこかおどおどした感じで缶ビールを手にし、少し口をつけるとテーブルの上に戻した。
 静馬は卒業論文執筆の苦労話などを始めたが、綾乃はたまに声とも息ともつかぬ音を微かに漏らすだけだった。そんな綾乃の様子にはお構いなしに静馬は話していた。これはいつもと立場が逆だった。
 静馬は、今日の自分はおしゃべりで、これは自分にしては珍しいことだと思っていたのだが、綾乃がほとんど黙っているのも、また珍しいことだと思った。それにずっと目を伏せていて、こちらを全く見ようとしなかった。
(俺に初めて抱かれて、俺をまともに見られないほど恥ずかしいんだろう)
 静馬はそう思い、綾乃のことが可愛くて堪らなかった。
(もっと抱きたい)
 静馬は落ち着かなくなった。だが、もしここで綾乃に触れたら、もう今夜は離せなくなるだろう。それは、初めて受け入れてくれた綾乃の身体に大きな負担をかけてしまう。そう考えていたら、不意に祖父のことが心に浮かんだ。そうしたら、卒業論文を提出したことを祖父に報告して安心させてやりたくなった。綾乃の不安は取り除いてやったので、今度は祖父の番だ、と祖父のことが気になって来た。
「俺、これで帰る」
 いきなり立ち上がると壁にかけておいたコートに手をかけた。
「送らなくていい」
 コートを着ながら言った。
「帰ったら電話するよ」
 バッグを手にして部屋を出て行った。その行動は非常に素早かった。これ以上ここにいたら、少々アルコールが入ったこともあり、貪欲に綾乃を求めて目が覚めたら朝だった、と言うことも想像に難くなかったので帰ることにしたのだ。綾乃と肌を重ねて朝を迎えたいと言う気持ちはあるが、祖父に心配をかけるから帰らなくてはいけないと言う気持ちもあった。
 静馬はドアの外に出て階段を下り、アパートの出入り口から屋外に出、歩き始めてふと思いついて身体ごと背後にあるアパートを振り返った。
 見上げたアパートは電気の点いてる部屋と点いていない部屋と半々だった。
 静馬は電気の点いてる綾乃の部屋の窓に目を当てながら思った。――――今夜、俺は綾乃を想い、綾乃は俺を想う、と。
「お休み」
 笑い顔で綾乃の部屋の窓に向かって呟くと、夜の街をほろ酔い機嫌で自宅に向かった。
 俺の学生生活は綾乃と出会った時から始まった、と学生生活を振り返りながら、残り少ない学生の時間を綾乃と一緒に有意義に過ごしたいと思った。




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